2005年1月1日(Sat) New Year Day

日本より遅れること17時間。アメリカ西海岸でも新年を迎えました。
新年と同時にあちこちで花火花火はなびの嵐。
東海岸が3時間前に明けているだけに...同じ国で違うというのも...何とも。

未明は晴れていたんだけど、日中はずっと曇りの元日でした。
これと言って何もすることもなく、暇にまかせて、勉強してました。


2005年1月2日(Sun)

一人でアパートに居るとちっとも正月気分じゃないので、出かけてきた。
Costa Mesaにある巨大なショッピングモール。大変な混みようで、駐車場に入るのも入ってからもノロノロ。そんでもって空きをなかなか見つけられずに挫折しかかったころ、ようやく駐車。
とりあえず一周してきたけど、Breaのモールに比べると3、4倍はあるんじゃないのかなあ。結局、何も買わずに帰ってきたけど...


2005年1月3日(Mon)

1月1日が土曜日だったので、今日は振替で会社はお休み。曜日の噛み合わせによっては、1月2日から働くらしいので、今年はラッキーイヤーということか。
帰国用のフライトのチケットを旅行代理店のオフィスまで取りに言ってきた。Torranceの北Gardenaという街。会社の指定の旅行代理店で、しかも会社指定のデスクはNew Jersey(東海岸)にあるんだけど、以前の出張で手配したときにZIP(郵便番号)を間違えられて1週間ほど郵送が遅延したことがあったため、今回は万全を期して、ローカルなオフィスへ自分で取りにいきたい旨の申し出をした。ローカルとは言っても車で40分くらいかかるんだけどね。
何はともあれ、チケットも手にして、あとは来週の引越し作業だけか...

とは言っても、明日から4日間はみっちり働く予定。
天気も悪く、暇をもてあました年末年始休暇だったけど、終わってみれば早いもんだねえ。


2005年1月4日(Tue)

発出勤。べつに「仕事はじめ」の行事も何もないけど...

Happy New Year to you. って言うんだね。そういや、Happy birthday to you.だもんな。toを使うのか、なるほど。I wish you a happy new year.ってのが決まり文句と思っていただけに、ちょっと違和感があった。
ふと、I wish you a happy new year.ってどうゆう文法だ?と考え込んだ。おいらは勝手に I wish (that) you (have) a happy new year.だと思っていたけど、wishに第4文型(SVOO)の使い方があるんだね。っていうか、第3文型か第4文型かなんていうのはどうでもいい話で、アメリカ人が文型を意識して使ってるわきゃないんだよね。
そういや、日常会話でwishなんて殆ど使わないなあ... 別の使い方で一時コマーシャルでも使われた I wish I WERE a bird.ってのも有名な使い方だけど。この仮定法の使い方は、すごく好き。


2005年1月5日(Wed)

日本帰国に向けたほとんどのクロージング処理は、完了したか、渡りをつけてあったのだが、一つ忘れていた。アパートの保険だ。決められたフォームを送れ となっているが、アパートの契約で期間の違約が発生していることもあって、これは明日にでもアパートの管理人に聞いたほうがいいな。そもそも保険契約も保険料こそおいらもちだったが、アパートの管理人がやったのだから...

おいらと入れ違いで今年1年間日本に滞在予定のアメリカ人技術者が、昨日日本に到着の便で飛んだんだけど、入国拒否されて舞い戻ってくるらしい。おいおい、これは笑い事じゃなくてちょっと大変なことになっちゃった。詳しいことは聞かされていないし、聞いていてもここには書けないけど。ん~、年明け早々大問題発生というところか...
おいらは、帰国するけどね。

Aliceが年末年始の休暇を利用して、香港に里帰りをした際にソウル経由だったらしいけど、ソウルの空港で「うどん」が5ドルと安かったという、どうでも良いような話題で盛り上がった。そーだなー、成田だったら10ドル位はしちゃうんだろうか?
そんで、USドルでそのまま支払えたという話。そうだよな、経由地でうどんを食うためにわざわざウォンに換えるのも面倒なだけだ。成田でもUSドルそのまま使えるかどうか試したことはないけど、きっと使えることだろう。


2005年1月6日(Thu)

日本は7日。帰任の辞令が出ました。って、昔と違って、誰かに紙を貰うわけでもなく、内示こそはメールでいただきましたが、日本の会社の異動通知に載っただけ。アメリカへ赴任するときも似たようなものだったけど、電話はあったな。明日こっちの会社の上司にあたる人から電話があるんだろうか?
いずれにしても、今日(明日?)からは古巣の会社の所属。

土日があるからいいやと思いながらも、すこしずつ引越しのパッキングを始めている。洋服の類は直接持ち帰るもの以外は完了。こっちで買った安物のプラ箪笥も捨てた。
ベッドサイドのランプテーブルの引き出しの中も整理し、今はダイニングテーブルの上に小物が散乱している状態。
あんまりやっちゃうと、土日が暇になっちゃうかも...


2005年1月7日(Fri)

雨あめアメ。こんなに降ってていいのか? 思えば前回の日本出張から戻ってきてから結構な割合で雨が降ってるような気がする... あの毎日が抜けるような晴天の日々が懐かしい。
一応、この時期はある程度の雨が降るらしいんだけど、こんなに降るのは unusual と言ってました。
来週の月曜まで降り続くらしく、特に今日と明日は、Heavy Rainの予報が出ている。

昨日深夜まで起きていて、寝る前まで大丈夫だったテレビが、朝起きると写らない。というより、電源が入らない。調べてみると、壁のコンセントに電気が来ていないようだ。いくつか同様に電気が来ていないコンセントが見つかり、ブレーカを調べるも落ちてはいない。
しょうがないので、会社に行く前にアパートの管理人に「勝手に部屋に入っていいから、直しておいてね」と頼んでおいた。帰宅すると、無事直っていたので、一安心。
今日切れなくたっていいじゃん。来週には出るというのに。めんどくさい。


2005年1月8日(Sat)

引越しのパッキングは月曜朝起きるまで使うもの以外はほぼ完了。
大箱1個、中箱1個、小箱2個と、ゴルフバックで済みそう。会社の許容量には収まってるはず。明日は通関と保険のための紙の清書をしなきゃね。
ゴルフクラブ、テニスラケットは持ってきたものの、一度も使わないまま、送り返すことになった。

昼過ぎに家具レンタル屋から電話があり、月曜の引き取りの時間を知らせてきたが、これまたちょっと大雑把過ぎて、困っちゃう。昼の1時から4時の間というのも、ちと幅がありすぎじゃねえか。家具しかない部屋で3時間待たされたら、そうとう苦痛だろうな。引越屋が朝9時に来るというから、10時頃に来てもらえるとよかったのだが...


2005年1月9日(Sun)

一日Heavy Rainだったけど、最後に「これはアメリカ」っていうものがないか、Brea Mallに行って来た。いつものことながら駐車場はいっぱいで、グルグル廻りながら探すんだけど、なかなかタイミングが合わずとめることができず、結局ドシャ降りのなかの屋上にとめる羽目に。ちょっとでも小降りになるのを待っていたら、30分くらい車のなかで過ごした。
そんで、一通り廻ってみたんだけど、「これ」というものはなく、何も買わずに帰ってきた。

こっちで見ていた日本語ドラマも中途半端なままで今日が見納め。結局「新撰組」は最後まで見ることができなかったなあ。


2005年1月10日(Mon)

ホテルに移動。
朝9時にNipponExpress(日通)が荷物を引取りにきて、30分もかからず荷出し完了。
10時頃から小雨になったところで、ケーブルテレビ会社のオフィスに、チューナなどを返しに行って、その場で精算してきた。モールの一角で、オフィスを見つけるのにちょっと手間取ったけど、まあスムーズにいった方。そのあと、自動車保険のリファンドのチェックが届いていたので、銀行に行って預けてきた。
チェックの有効期限て、まちまちなんだね。会社から出る出張精算のチェックは半年間有効なんだけど、今回受け取ったのは2ヶ月以内に換金しろとなっていた。この後、いろいろなところから預かり金の返金とかで、チェックが送られてくることになっていて、一応、通っていた会社の秘書の方に送付してもらうことにしてあり、次回出張で来たときにでもまとめて銀行に入れようと考えていたのであるが、今回のチャックはギリギリじゃん。

銀行に行ったあとが暇だった。
レンタル家具屋の引取りが1時から4時の間という話だったので、1時からずっと待っていたものの、結局来たのは4時半頃。アパートのオフィスが5時に閉まるのでいらいらしたのと、ケーブルテレビも返しちゃったあとだから、インタネットで遊ぶことも出来ず、しゃーなしに、Windows組込みのゲームをしながら待っていた。
家具運び出しのあと、部屋に掃除機をかけて(掃除機はそのまま捨ててきた)、立ち退きの部屋の検査を受けて(これが大切)、鍵とゲートのリモコンをオフィスに返しにいこうとしたら、検査に立ち会った人が「オフィスはもう閉まった」とのこと。その人に預けて、とりあえずアパートも完了。
いっぱい捨てたよ。って、捨てるつもりで安物ばっかりで揃えたんだけど。先に書いた掃除機、電話機、包丁などなど、シャンプーやボディソープや台所洗剤などなど、こんなもんゴミ捨て場に捨てても大丈夫かというものまで。日本と違って、ゴミ問題ってないんだろうか? 分別廃棄なんて考えはちっともない。

さあ、いよいよだなあ。


2005年1月11日(Tue)

最後のフラトン日記になります。
って言うか、昨日まで最後だなあなんて感じていなかったんだけど。一応、滞在終了ということで、ここで区切りでしょう。

一日仕事をした後に、お世話になった皆に別れの挨拶。急に寂しくなって泣いてしまいました。なんてのは冗談。皆、やさしい言葉で、そして明るく送り出してくれました。
何人かは、早速来週に東京での会議で会う訳だし、おいらも2月のアメリカ開催の会議には出張することになるだろうし。寂しさはそれほどでもない。
日本に帰っても仕事のスタイルは変わるだろうけど、従事しているプロジェクトはそのままだしね。

いずれにしても、この滞在での経験全てを自分の財産として、この先の人生に役立てていきたい。
そう、「良い経験もたとえ悪い(と思える)経験でも、人生に無駄な経験なんて何一つない」というのが、おいらの信条。

最後に、
おいらの勝手な希望で、アメリカ滞在を許してくれた妻に心から感謝したい。おまえの支えがあってこそ成り立った滞在だった。ありがとう。愛してるよ。