2004年4月13日(Tue)

ようやく再開で~す。

今回から出張ではなく、海外勤務です。
いつものように小松-羽田、羽田からは今回はリムジンバスを予約しておいたが、あまり意味がなく、一本前のバスに余裕があったので、切り替えて成田へ。成田では今回初めてB区画からの出発で、ラウンジも本館の方へ初めて入った。そしたら、喫煙セクションどころか、ほんとにタバコを吸うためだけの喫煙ルームで、吸うたびに出入りしていた。
4月から有効なアップグレード券の使用の予約は入れていたものの、「当日空港にて確認」となっていたのだが、結局アップグレードできていた。8時間半ほどではあるが、ビジネスクラスはいいね、やっぱり。

今回はいつものLAXではなくて、初めてのSFO(サンフランシスコ国際空港)だ。数年前に立て替えたということで、新しく綺麗だったね。ただ、賑やかさはなかった。入国審査も殆ど待ちなしの状態でパスできたが、今回は何せVISAアリ、指紋とられたり写真とられたり、会話も多めで緊張した。「働きに来た」なんていうのも「こんな言葉を口にする日があるとは...」って感じた。
さて、到着ロビーに出て、玄関を出てみたのだが、えらい閑散としている。Hertzのバスも巡っている雰囲気がない。しょうがないので、もう一度到着ロビーに戻り、案内所で聞いてみた。「4階にエレベータで上がって、Air Trainに乗れ」ってさ。へぇ、そんなものが走っているのか。それに乗ってレンタカー駅までいくと、降りたところにいくつものレンタカー会社の受付がならんでいた。素晴らしい。LAXが腐って思えた。

SFO経験者から、「レンタカーはすごい列だよ...」とぞっとしていたが、そこも殆ど待ちなし。しかも今回は(空きがあれば)無料で1ランク上の車を貸してくれる優待も効いて、とても快適な車。
そうそう、SFOからSanta Claraへ向かう101号線で、危うく事故に巻き込まれるところだった。数台前の車が何の拍子でそうなったのか知らないけれど、急にスピンして6車線のうちの真ん中の2車線に跨ってこっち向いて停車した。「うおーっ」て言いながら急ブレーキ。同時に「後ろの車追突してこないで~」って感じ。結局スピンした車も含めて被害車両なしで、走り出したんだけど、ほんとにびっくりしたよ。

約束の時間より早めに付いたので、ホテルへ行ってみた。案の定12時ちょっと過ぎではあったが、難なくチェックインできた。それから訪問先の会社へ。(って、そこがお給料を払ってくれる会社なんだけどね。)
ここにきてちょっとツキが離れた。(職務上でもなく職場上でもなく、単なる)体制上の直属の上司になる方にご挨拶の予定であったが、急に不在となっていた。オリエンテーションの資料を受け取り、人事の方とは電話会議形式でお話をしただけで終わってしまった。こんなことなら、わざわざ日を合わせてサンフランシスコに飛んできた意味ないじゃん。おいらにとっちゃ、初めてのSFO着を味わい、Santa Claraまでドライブするという経験ができたから別にいいんだけどね。

明日は昼ごろの便で、LAXに飛ぶ。時差ボケがあるかどうかわからないけど、今日は眠くなったら眠ろう。


2004年4月14日(Wed)

Santa ClaraからFullertonに移動した。
Santa Claraの隣町のSunnyvaleのホテルを朝10時に出れば余裕と思っていたら、ちょっと遅れた。チェックアウトして車に乗ったのが10時20分ころで、レンタカーの返却時間の11時に間に合うかどうか不安になりながらSFO(サンフランシスコ国際空港)に向かっていた。FreewayのSFO出口に10時50分頃到着し、「結局、余裕だね」などと思っていたが、そこから道に迷った。今ひとつ Rental Car Return の案内標識が見つけにくいのと、空港独特の道の複雑さ。一回駐車場に入ってしまう始末。「(たま)ここはレンタカーの返却場所なのか?」「(オヤジ)んにゃ」「(たま)ごめん。間違えた。タダで出させて。」「(オヤジ)わかったよ。(標識みえてんのか、バーカ)」なんて会話をやむなくこなし、無事返却場所へ。ちょうど11時だった。
AirTrainに乗って、UAの入っているターミナルへ移動。途中AirTrainの中で声を掛けられ、"BART" (Bay Area Rapid Train)に乗り換えるのはこの駅かなどと聞かれたが、聞く相手を間違えてるよにぃちゃん。結局にぃちゃんには別のことを教えてしまった。ごめんよ。
アメリカでの国内線に乗るのは初めてで、UAのカウンターもえらい込みよう。でも、ここでもANAのプラチナ会員は役にたつね。Star Alliance GOLDの優待だからね。ビジネスクラスのチェックインカウンターとセキュリティチェックゲートで、余裕の入場。セキュリティチェックゲートでは、今回は一層驚いたことがあった。胸ポケットの中のガムに反応していた。ガムの銀紙に。
SFOからLAXへは実際の飛行時間は1時間弱。あっという間だね。あまり大きくない飛行機で、片側3人の25列くらいだったかな。それよりも驚いたのが、アメリカでは本当に飛んでる間だけ携帯電話の使用を禁止しているらしい。飛行機に乗ってもあっちでもこっちでも電話してやがる。もうちょっと規制したほうが良いんではないの?

LAXにはいつもと違うターミナルへの到着だったけど、まぁ、勝手知ったるところ。Hertzのバスに乗って、Hertzでレンタカーを借りて...そうそう、ここでも今回は1クラスUPの優待が効いた。ラッキーだね。カウンターのおねぇちゃんが「あら、あなた、もうすぐ誕生日なのね。」と言ったのに対して、「誕生日スペシャルディスカウントはないのかな?」なんて冗談で返す余裕もあったね。
あとは、地図なしでホテルまで行って、チェックイン。5時頃になったけど、思い切って、今日のうちに日本食マーケットへ買出しに行ってきた。しかし、やはり夕方は運転するもんじゃないね。フリーウェイだってブタ混み。2時間も掛かっちゃった。

よ~し。明日からがんばろう。って、最初はいろんな手続き関係の paper work ばっかりだけど。


2004年4月15日(Thu)

ちょっと、情けない。
今日、Social Security Administration Officeに行ってきたときのことだ。アメリカで仕事をし、生活をするためには、Social Security Numberというものを貰わなければ、例えばアパートの契約をするだとか、いろいろなことができない。それで、まず最初にする必要があるのが、SSNの申請だ。申請書を書いて持っていったのだが、なにやら理由をつけて、「15日後に再度来てくれ」と言われてしまった。
その場で、その理由を聞き返したのだが、何となく言ってることは解ったつもりでいたけど正確には聞き取れなかった。その場で機転も効かず、すごすご引き返してきた。けれど、これからやらなければならないことを考えたら、少しでも早くSSNをアサインして貰いたいところ。せめて正確な理由を紙に書いてもらうんだった。
ということで、明日、また行って紙に理由を書いてもらおうと思う。

会社のほうは問題なし。
みんなと再会の挨拶をし、順調な滑り出し。ただ仕事というよりセットアップの作業で1日つぶしていた。まずは会社宛ての郵便を正しくおいらに配送してもらうために、チームのマネージャを通して秘書の方に会社のディレクトリに載せてもらえるようにお願いした。これも、車のリース会社の方から、c/o(care of, 日本でいうところの気付)なしで何とかならんのか(というより、車の登録するのにc/oなど長ったらしくて、DMV<Department of Motor Vihecles>のシステムに入れられない)、と言われ始めて気が付いた。
まっ、いつもの口癖、「人生は何事も経験だ」

今日帰りに、「See you tomorrow.」と挨拶したら、複数の人が「See you Monday.」との返し。結構、9/80(一日9時間、二週間で80時間勤務で、そうすると二週間に一度金曜日も休める)勤務の人が多いんだね。時間を有効に使うアメリカらしい。


2004年4月16日(Fri)

あまり Happy でもないけど、今日はおいらの誕生日らしい。「不惑」まであと一年か、もっともっと自分に自信が持てるようにならなければ...

昨日いったSSNの申請にもう一度行ってみた。言いたいことを紙に書いて、そして、申請の延期の理由を書いてもらうための余白を準備して行ったのだが、結局紙には書いてくれなかった。
ちょっとだけ幸いにも、employerの人事担当が理由を知りたがっていることを伝えたらofficerが電話をしてくれるというので、人事担当の電話番号を教えた。そしたら、「San Franciscoの電話番号じゃないか。そんなところには電話しない。localなボスはいねえのか。」となってしまった。一生懸命、雇用者と勤務先が異なることを説明したんだけど、頑なに local にしか電話しないと言い張る。
しょうがないから、勤務先のShawn(日本語が話せるエンジニア)に電話して、申請延期の理由を説明してもらった。後で、Shawnに確認したら、おいらの聞き取りとあまり違わなかった。
何でも、ワーキングビザに入国したら、本人の知らないところで移民局が SSNをアサインすることがある。いまSS officeで手続きを開始すると二重アサインになりかねない。従って15日間待て、という内容。おいらにとっても、人事担当の多くの経験のなかでも、そんなことを言われたのは初めてのことのようだ。前半部分が真実ならそれでも良いのだが、かなり眉唾もんなんだよね。
一刻も早く欲しいSSNが、こんな眉唾な理由で延期されるのは我慢しがたいけど、しょうがない...

土日は何して過ごそうかなぁ...


2004年4月17日(Sat)

時差ぼけなんだろうな。アメリカ到着後はあまり感じていなかったが、ここに来て夜遅くまで起きていて、朝方と、夕方と寝ている。
そんな訳で、今日は10時頃まで寝てしまって、ホテルの朝飯を食い損ねた。日本からかなりの額のお金を持ち込んでいるが、アパートや車のリースのセットアップに必要な当面のお金だから、それらが終わって先が見えるまでは節約、節約。
そういえば、リースカーのための自動車保険の見積もりを出したら、1年で1,700ドルとの見積もりだった。アメリカでの履歴がないから当然なんだろうけど、日本での運転経歴なども考慮すると謳われていたので、かなり驚いた。だって、これ対人も無制限じゃないんだぜ。この自動車保険のほかに、アパート借りたらテナント保険にも入ってから加入できるアンブレラ保険というやつで、巨額の賠償責任をカバーすることになるから、もっと保険にお金が掛かるってことだからね。

時差ぼけに話を戻して、そんなこんなで、今日は昼過ぎにベッドから出て、外に出てみたら雨が降っていた。結構本格的に降っていたもんだから、一気に出かける気が失せた。
日本から持ってきた文庫本を読んでるうちに夕方になり、また2、3時間寝てしまった。
食事も買いだめのもので済ました。結局、今日一日ホテルの部屋だけで暮らしたことになる。


2004年4月18日(Sun)

今日は何とかホテルの朝飯を食った。その後で一寝入りしちゃったけど。
その後、以前に入手していたテレフォンガイドを見ていたら、Anaheimにも日本食マーケットらしきものがあるのを見つけて、地図と付き合わせながら行ってみることにした。そんでも20マイル以上はあったであろうか。Costa Mesaのマーケットみたいなのをイメージしていたら、全然小さかった。いなかのヨロズヤくらい。そんでも折角来たので、4,5日分の食材を買ってきた。
その店のあたりには、なにやら日本語らしきものが名前に入った店がいくつか軒続きになっており、その中の一つにヘアーサロンを見つけた。床屋をどうしようか思案していたところなので、今度最初のトライはその店にしてみようと思う。日本人経営だといいんだけどな。一応、日本で床屋に行ったあとのデジカメ写真を印刷したものを持ち込んではいるが、日本語が通じれば、融通が利くかなと思って。

明日からはアパート探しを本格化させよう。


2004年4月19日(Mon)

しくじった...ようだ。
ホテルからダイヤルアップでインタネット接続しているのだが、ローカルコールなのにエリアコードを付けてダイヤルする設定にしてあった。そしたら、今朝メッセージが入っていて、本当なら free of charge なのにlong distance扱いでチャージされてるよとの親切なお知らせ。がび~~~ん。メッセージによると、47ドル(=5000円程度)無駄遣いしてしまったようだ。
出張なら通信費の名目で処理できるくらいだが、今回は自腹になっちゃうからな。痛い。
挙句の果てに、今設定しなおした状態で接続してみようとするが繋がらない。受話器を持ち上げて音を聞いてみようと思うが、どうもおかしい。親切にも外線発信がロックされているのかしら?
もう一度というか、もう何度かメッセージを聞きなおしてみよう。最後の部分が何言ってるのか何回聞いても解んないんだよね。もしかしたら、フロントに来て確認したらロックを解除するよ、と言っているのかな? この点が会話と違って一方的に相手のペースで喋られるボイスメッセージが嫌なところだ。って自分のヒアリング能力が足りないだけなんだけどね...悔しい。

と、ここまで書いてから、やっぱり全部で47ドルなのかどうか気になりだした。そんでもって、外線発信がロックされているようなことも非常に気になる。とんでもない額になっているからロックされているのではないかと思い出したらとても安心して寝ていられない。
何度も何度もボイスメッセージを聞き直して、そんでも解らない箇所がどうしてもあるものの、全体的な流れからは、全体で47ドルで、どこにも発信をロックしていますなんていう表現もない。結局フロントデスクに確認することにした。
電話での会話にはまだまだ難があるため、すでにパジャマ姿にはなっていたのだが、着替えてフロントデスクに赴いた。「チェックインから今までの電話代を確認してもらえないだろうか?」と言って確認してもらったところ、やはり「47ドルになっているよ」と言う。でも、「あなた、インタネットやってて、最初にエリアコード付けてるのね。はずしなさいね。」と言ったあとに、「これまでのチャージはキャンセルしておいてあげる。」と付け加えられた。あまり可愛くもないおねぇちゃんが突然天使に見えた。
そんでもって、追加で、「外線発信がロックされてるみたいなんだけど...」と確認したら、それもビンゴ。はずして貰えた。

ということで、この日記も無事アップロードして、安心して眠れる...


2004年4月20日(Tue)

アパートさがし。とは行っても勤務先の会社の人から2つの物件の紹介があった。一つは、その気になれば歩いて通えるくらいのところで、もう一つはちょっと遠くて20kmくらいはあるであろうか。どちらも同じような値段で、予想より高め。SSNのアサインメントが遅れる件も話して、勤務先の会社の紹介ということで、アサインメント前でも入れそうな感じであったので、早速、近い方のヤツを見に連れて行ってもらった。
光熱費まで含めると住宅手当だけではすべて賄いきれないかも、というくらいおいらにとっての上限に近い値段ではあったが、かなり満足。どうせ一生すむ所を決めるわけでもないので、そこに決めてしまってもよいかなと思った。そこなら5月4日にも入居可能とのことだった。しかし、問題が...。借りる期間が今ひとつ折り合わない。一ヶ月分余分に払うからというわけにもいかないし。明日、ちょっと勤務先で世話をしてくれてる人と話合うことになった。
いずれにしても、かなりの面倒を見てくれて、感謝感謝。おいらはラッキーかも知れない。

妻から電話がかかってくるはずであったが、かかってこないなぁ...と思っていたら、メッセージが入っているのに気が付いた。メッセージが入った時刻を聞く限り、部屋に確実にいた。ってことで、電話のベルが鳴らなくなっちゃったみたいだ。
こっちからかけてみたけど、すれ違って、留守番電話になっちゃってる。結局2回目かけて留守番電話になったところで、次にかける時間を指定しておいて、何とか3回目に話すことができた。やっぱり、声を聞くとホッとするもんだ。
明日ホテルのフロントには電話のベルの調子を言って、会社にいってる間に直しておいて貰わなきゃ。昨日の外線発信ロックと何か関係があるんだろう...

アパートの話にもどそう。細かいとろろでは個々の物件は微妙に違うんだけど、ちゃんとしたところはかなりの数のまとまりで一地区みたいになっていて、中に入っていく道路にはゲートが設けられている。駐車場は料金に含まれていたりいなかったり、屋根の有無、個別のガレージなどで、おいらが見てきたのは月$135と高いね。
共用のプールだとかSPAとかあり、洗濯機と乾燥機も共用の建物の中に数台おいてあった。まぁ、コインランドリーがそのアパート地区の敷地内に用意されている感じ。聞いていたように no furniture のところが殆どだけど、自前でレンタル屋とかと交渉しなくても、アパートオフィスで手続きしてくれる。これが結構な値段なんだね。月$300だって。まぁ、この値段を上乗せして、家具付きアパートを借りた気になればそれでいい。上下水道とゴミ集めは、全体からみたら相当安くて月$25だって。
水道や電気、電話などを自分で連絡して契約しなきゃいけないと思っていたんだけど、すべてアパートオフィスを通して(もちろん別会社なのでおいらがサインしなきゃいけないんだけど)やって貰えるのは、有難いねぇ...
実際にこの地で生活しようと思うと、ホントに知らないことばかりで、勉強になってる。最初の支払いもpersonal checkでは(もちろんcashでも)駄目で、"money order" か "cashier check" で払ってくれって。両方とも全く知らなかったものだ。


2004年4月21日(Wed)

今日連絡があるかと思っていたアパートの件は、連絡がなかった。明日午前中にでも世話をしてくれている人のofficeを訪ねてみるか。
一方で、リースカーの手配も概ね完了したみたいで、23日の金曜日に納車の運びとなった。ホントはディーラーまで取りにいかなきゃいけないらしいが、LAにあることだし、ディーラーの好意でおいらの指定した場所での納車をしてくれることになった。おいらはその前にLAXの近くのレンタカー屋にレンタカーを返しにいかなきゃいけないし、ここはアメリカだからその後車がないことにはどうにもならないため、レンタカー屋の脇の通りでの納車をお願いしてみた。しかし、よく考えるとそこまでディーラーはおいらの車と別の車の2人で来ることになる訳だから、いっそのこと、まず一人で来てもらっておいらをそこでpick upしてもらって、ディーラーまで行ってから納車で構わないよということにした。非常に有難がってもらえたが、さらによくよく考えると、おいらが本来出さなきゃいけないタクシー代の代わりを、彼らに頼んで迎えに来てもらうという話に他ならず、有難がらなきゃいけないのは、おいらの方だね。
さらに、最初の支払いの仕方を聞いてみたら、T/Cでも構わないとのことで、これまた有難い。まだpersonal checkを切れるだけの準備が完了していない。

localな銀行の支店にいけば、口座開設とpersonal checkのための小切手帳(実はこれは、お金を出して発行してもらうものらしい)は、1時間もかからず完了するらしいのだが、NY支店とはいうものの会社の指定で開いているCITI bankの口座だけで十分ではないかと思って、地元の支店での口座開設は躊躇っている。だって、開いたら開いただけ帰任するときの後始末が面倒だもの。しかも日本に帰ってから後始末しなけりゃいけないらしく、1つで十分じゃん。
会社指定の銀行の口座開設の状況を電話で聞いてみたところ、口座はもう開いていて口座番号は教えてくれたが、小切手帳やATMカードの到着は来週中ごろになりそうだ。会社からの初期セットアップの貸付金もそこに振り込まれる(というか、CITI-bankのloanを利用)ので、早く欲しいところ。
銀行の口座の種類とかは日本とそれほど変わりなく、checkを切るための無利子のchecking account(日本の当座口座に相当)と、saving account(日本の普通口座に相当)が基本だね。日本と違うところは、まずはchecking accountの方が大切だというところだね。
早くドル建てのクレジットカードも作りたいね。cashを持ち歩くのは嫌だし、かといってT/Cの使い勝手も今ひとつ、personal checkだって今ひとつ信用問題があるしね(銀行にお金がないのに、personal checkを切る人も結構いるらしい...)。

Santa Claraの雇用者のシステムに接続するためにVPN(Virtual Private Network)で接続しなきゃいけないのだが、いろいろ躓いている。本来の意味のVPNはホテルからの接続はOKだが、勤務先のネットからでは、勤務先のネットのFirewallに穴を開けてもらわないと不可能だ。一応、必要な情報を纏めた後にネット管理者にお願いしにいくよとの約束は取り付けてある。
一方、webブラウザとセキュリティ確保ツールを利用した接続も用意されていて、そちらはfirewallに何ら関係ないと考えていたのであるが、未だ開通していない。2日がかりでSanta Claraと電話で会話しながら取り組んでいるが、駄目だ。電話の相手も英語だけ使える人間だ。ちょっとキツイね。奴らは外国語を習ったことがないんだろうか? もうちょっとゆっくり話すことによって、こちらも理解しやすいってことを解っていないようだ。いくら「ゆっくり喋ってね。」とお願いしても、すぐもとのスピードで喋りだす。まぁ、会話はなんとか成り立ったが、肝心の接続の不具合は解消していない。
一応、web accessの方もホテルから接続して試してみて、明日報告することで今日は終わった。
ホテルで確認してみると、あれ、使えるなぁ...web accessでfirewallによって何がガードされているんだろう? ちょっと不思議だけど、明日報告して、エキスパートに考えて貰おう...


2004年4月22日(Thu)

アパートは結局おととい見にいったところに決めようと思う。他にお勧めのところもないようだし。借りる月数が合わないところは、どうにもならず、月々の料金がちょっと高めと見做して納得しようと思う。
家具のレンタル料金は微妙なところだ。帰任のときに確実に売り先が見つけられるようなら買って揃える方が安上がりであることは間違いないところだが、買い手を捜すのもかなりめんどくさい話だろうし、持って帰るわけにはいかないのだから、どっかに寄付なんてことになったらなどと考えると、買い揃えるのはちょっとリスキーかな。
いずれにしても住宅手当を少しでも浮かそうと考えていたおいらが甘かった。会社も上手く調査して住宅手当を決めているね。安かろう危なかろう、では困るからね。ここは米国、安全第一。

給料日は26日だけど、今日、ドル建て給与の小切手が届いた。こっちの銀行振り込みの手続きが完了していないためで、来月からは銀行振り込みの予定。もちろん、その小切手は26日以降にしかお金にできないようになっている。いっしょにちょっとした明細(主に税金だけが詳細に書いてある)があって、それを見るとアメリカ人て結構税金払っているんだね。ちょっと驚きの金額だった。
あと、おいらには円建ての給与もあるのだが、それも書かれていて、それも含めてアメリカの税金が掛かっている。そうか、それで日本の税金は出国に合わせて年末調整済まして出ることになってるのか。ようやくそのからくりが理解できた。おいらは商社マンや国際契約担当者でもないけど、日米租税条約も勉強してみようか...

今日の昼食はチームメンバと10人で Vietnameseレストランに出かけた。が、急遽閉まっていた。みんなしてあっけにとられ、お隣のChineseレストランに変更。ベトナム料理は日本にいても食べたことがなかったのでかなり楽しみにしていただけに残念。
そうそう、fortune cookieって知ってる? おいらは日本でもあまり中華料理店にいかないけど、日本にはないよね。中におみくじが入っているクッキー。クッキーとはいっても日本語のクッキーをイメージしない方がいいな。ちょっと適切な表現が思いつかない。これ、こっちで中華料理店にいくと最後に必ずといっていいほど出てくる。どうもサンフランシスコが発祥らしい。中国系のチームメンバたちもChinaでは見たことない、といっていた。

明日は、レンタカーを返して、リースカーに切替えるために、会社は休むことにした。午後には日本から送った荷物を、アパート入居まで待たずにホテルの部屋に引き取ってしまう予定。
一応、連絡が入るかもしれないので、昨日懸念していたホテルの部屋の電話のベルが鳴らないのは、チェックしてもらって、直ったようだ。


2004年4月23日(Fri)

今日は主に3つの出来事。
リースカーを受け取りにいってきた。余裕を見てホテルを出たのだが、途中フリーウェイが混んでいたのと、事故のせいで10分間ほど停車して待たされた影響で、待ち合わせに10分ほど遅れた。Hertzにレンタカーを返して、そこで、「この敷地から歩いて外に出るにはどうするんだい?」と聞いておいた後、事務所の建物の中の公衆電話から、相手の携帯に電話をした。敷地の外にもう来ているとのことで、相手も見えているというHertzのCar Returnと書かれた大きな看板のところで、ということと、服装などを伝えてHertzの敷地の外へ歩いた。いつもはHertzのバスに乗って空港のターミナルまで運んでもらうのが常だから、そこから歩いて出たのは初めてのことだ。
難なくお互いを見つけ、相手の事務所へ。LAのダウンタウン、Little Tokyoの一角に事務所があり、そこでいくつかの書類にサインし、説明を受け、リースカーを受け取って乗って帰ってきた。会社が指定している標準車そのままで、HONDA CIVICのセダン。馬力と大きさには不満はあるものの、自動車手当て以上のものにする気はないので、我慢我慢。最初の月のリース料を除いた初期費用として800ドルほどかかっており、これをこの先の自動車手当てのなかから、自分なりに償却していかないと...
リース会社の方もさすが客商売だけあって、気さくでおもしろかった。姫路から1Hほどバスに揺られる田舎の出身で、20年前からLAに住んでいるとのこと。

慌てて帰ってきたのだが、1時に10分くらい遅れた。既に日通の人がホテルにやってきてて、荷物をホテルの部屋へ運ぼうとしているところだった。危ない危ない、ぎりぎり間に合った感じ。引き取った後、中身をチェックしたところ、別に壊れているものもなく一安心。一番重いのはやっぱり本の入った箱で、半分くらいの本は会社のデスクにおいて使おうと思っていたものだから、月曜からアパートへ引っ越すまでの間に少しずつ会社に運び込もうと思っている。アパートへ引っ越すときの荷物も少なくなるしね。
ゴルフバックを開いて、クラブが折れたりしていないかどうか確認したら、パターを入れ忘れていることに気が付いた。はて? なんで入っていないのかな? パター一本くらい安いヤツを現地調達するかな...

会社の指定で、会社を通して開設手続きをしていた CITI bankのNY支店の口座、カードがバックオフィスから届いたので、そこに書かれている通りに、近くのCITI bankのFullerton支店にカードのvalidateに行ってみた。Validateというのは、日本と違って送られたカードはそのままでは使えず、支店に出向いて使えるようにしてもらうこと。ところが、別送されるPIN(暗証番号)を待って来い、とのこと。えっ? 暗証番号は、ここで同時に設定するんではないの? そう理解して来たんだけど... 窓口で会話にまごついていると、隣のデスクの電話で、CITIバンクのカスタマーサービスと通訳が入り込んだ3者電話となった。ここでも自分の英語力の乏しさに幻滅。
でも、ほんとにそうなのかなぁ...月曜にNY支店に電話してみよう。そこで窓口となってくれている人は日本人なので大丈夫。ただし、時間には気をつけないといけない。NYとここは3時間の時差があるから、こっちの夕方電話したのでは、向こうは既に帰宅しちゃっていることになる。
今日も朝行ったのなら、NY支店の日本人の人に電話してくれと言えたのだが、こっちの4時に行ったものだから、そう言うことも出来なかった。


2004年4月24日(Sat)

昨日あたりから、ようやく暑くなってきた。それまではちょっと寒く感じることもあり、本当にここはLAなのかと思うくらいだった。ホテルの部屋のエアコンも暖房に設定していたりして。今日から冷房に設定してある。

昼2時ころから2時間ほどホテルのプールで過ごした。そしたら、海パンのケツポケットに財布を入れてることを忘れて、そのままプールの中に。プールから出て、「のど渇いたし、そこの自販機でコーラでも買おうか」と思ったときに初めて気が付いた。のくてぇ~(福井弁)
慌てて部屋に戻り、財布の中身をすべて机の上に広げて乾かしている。洗濯したのとは違って、被害はそれ程でもなかったが、皮の財布自体はなかなか乾かないね。ティッシューを挟んでドライヤーをやんわりとかけて、なんとか大丈夫かな? 中身のお札とかは皺々になったけど、疑われやすい新札風ではなくなったので、却って良かったかな。何枚か入れていた名刺(ビジネスカード)は皺々じゃサマにならないから、捨てたけどね。

明日は月曜からの定例会議に日本から数人やってくる。ホテルは別のところだけど、昼からの行動と夕食はごいっしょさせてもらうつもり。


2004年4月25日(Sun)

日本からの出張者とともに、Hollywoodへ。
Walk of Fameという、有名人の名前が歩道に書かれているところを歩いてみた。端から端まで歩こうと思っていたが、これがなかなか。途中で疲れたため、全部は歩かなかった。知らない名前も数知れないが、ときおり知った名前を見つけるとちょっとうれしくなる。お気に入りの名前の所でしゃがみこみ写真を撮る観光客も多い。
途中あやしげなオヤジに声をかけられることもあったが、とりあえず、無視。

その後は、Santa Monicaのビーチに行ってしばし過ごしたあと、そのあたりのレストランで夕食を取った。出張者の一人が持ってきたガイドブックに載っている店で、オイスターとロブスターを食べて、ビールを飲んだら一人86ドルも使っていた。ちょっと贅沢しちゃったな。
中高級店とのことと、おいら一人半ズボンだったので、一応入る前に「半ズボンでも大丈夫ですか?」と聞いたら、「No problem」との返事。さすが、Southern California、よっぽどじゃなきゃ大丈夫みたいね。
ちょっと遊びすぎたかな、帰ってきたら10時ちょっと前になっていた。


2004年4月26日(Mon)

定例の技術会議に出席。
今回も有意義な会議と出来たような気がする。しかし、アパートの件でちょっとした誤解があったため、慌ててcashier checkを作り、それをアパートオフィスに渡しに行くなどの中座が必要であった。そんなこんなで、アパートの件で中座して疲れ、また会議室に戻るや否や質問攻めなどで疲れ、どっと疲れた。

夜のディナーは、新たなレストランに連れて行ってもらい、楽しんできた。途中で何度もBillyとタバコを吸いに屋外へ出て、またこれがBillyとの会話を楽しむ時間にもなり、とても楽しいんだな。

短いけど、疲れているので、今日はこの辺で...
パソコンのACケーブルを会社に忘れてきたものだから、バッテリだけじゃそれ程持たないし...


2004年4月27日(Tue)

先週まで今ひとつ聞き取れないなぁと感じていた英語も昨日、今日の技術会議の中ではある程度聞き取れるようになれたような気がする。日本から来たメンバを加えて相手がゆっくり話してくれているという点もあるのだろう。日本から来たメンバに「俺らが触媒になってるんだよ」と言われたが、まさにその通りかもしれないと思う。

夕食は彼らとともに、数ヶ月前にいったことのある Korean BBQに行ってみた。何やら店の中に入ったら雰囲気が違う。どうやら経営者が変わり、別の店として生まれ変わったようだ。Koreanの経営であることには変わりないようだ。ママは挨拶くらいは日本語でもできるみたいで、食事の内容も店の雰囲気もまぁまぁであった。機会があれば、また行ってみよう

出張者が泊まっているホテルでさらに二次会。やっぱり「飲みにケーション」は大切だよね。親睦を深めるためにも。とりあえず再会の挨拶をして一人帰ってきた。

銀行の初期暗証番号が郵便で届いたのでさっそく、ATMカードのvalidateに明日の朝にいってこようと思っている。アパートの初期契約費用の残金も cashier checkにて作ってこなきゃいけないし、銀行の残高をプリントした資料をアパート入居時の資料として要求されている。一応こちらの雇用証明の写しは渡してあるのだが、いろいろと手続きが面倒だ。
来週のホテルからのアパートへの引越しの準備もしていかなきゃいけない。引越し当夜に必要なものは買い出しておかなければ...


2004年4月28日(Wed)

朝のうちにATMカードのvalidateなどを目的に銀行へ行ってきた。
先週行ったときに必要だと言われた初期PIN(暗証番号)が郵便で知らされたからであったが、今回はその暗証番号を聞かれることなく、新しい暗証番号を設定してのvalidationであった。う~ん、なんなんだろうな?
これでいつでも口座の出し入れが出来るようになり、また、インタネットバンキングもできるようになったのであるが、折角窓口に来ているわけだから、アパートオーナーから要求されている残高の状態を印刷してもらい、おいら自身も貸付金が銀行の口座に入っていることを確認できて一安心。
次にアパートの初期費用の残金を納めるために、(口座のお金を使うんじゃなくて) T/Cからmoney orderを作成してもらった。払い込み先が異なるため2枚のmoney orderを作成して貰ったんだけど、1枚につき5ドルのサービスチャージをとられた。結構なチャージだよね。
最後に、会社からcheckで貰った4月分の給料を口座に入金。通帳がない代わりに窓口であってもATMカードと暗証番号による認証が必要だった。ついさっきvalidateしたカードと暗証番号を使っての手続きであった。ただし、小切手の入金では直ぐにはお金が使える状態では入金されていない。しばらく銀行預かりの状態になっているらしい。そりゃそうだね、小切手の不渡りの可能性があるもんね。って、給料の小切手が不渡りだったりしたら大変だけど。
一通り、銀行の窓口でやることは経験できたのかな? あとは実際にATMを使ってみる経験と、小切手帳が届いたらpersonal checkを切る経験か...
ひとまず、貸付金が使える状態になっていることが確認できたし、持ち込んだお金だけによる当面のお金のやりくりの心配はなくなった。

会社の机の上の電話が、不在のときに勝手にvoice mail (留守番電話)に切り替わっていることに気が付いた。でも、それを取り出す術を知らない。周りのみんなは新しいタイプの電話機になっているため、周りの人も昔の記憶でしかなかった。どうも暗証番号をプッシュして取り出すらしいのだが、どうなってるのかな?
秘書のかたに問い合わせている。結構、たまっていたりするかも知れない。相手にしてみりゃ、「後で電話してください」と入れておけば、当然後で電話してくるんだと期待しているであろうから、何か大切なやり取りをおいらが無視していることになっていたら大変だな...
って、メールだして返事が返ってきていない幾つかの件はもしかしてそういう状態になってるのかも。


2004年4月29日(Thu)

日本はゴールデンウィークに突入か...
こちらは、昨日の夕方くらいから若干気温が低くなっていて、今日も風が涼しく感じる。

ところで、入る予定のアパートの部屋の前の住人、いい加減にしろよ。今日も電話会社に申し込みの電話をかけたら、その部屋の回線の解約申し込みが入っていないため、おいらの契約申し込みを受け付けてもらえなかった。アパートのオーナーに再度煽りを入れてくれるように頼んだ。明日には前住人は出て行くとのことだから、さすがに明日には解約して出て行くんだろうな。(怒)

昨日秘書のかたに頼んでおいた会社の電話のvoice mailの取り出し方、今日返事があった。やり方を教えてもらい、さっそく取り出すと、4件ほど溜まっていて、うち1件は車のリース会社からの重要な伝言。慌てて対処したが、26日に入っていたものだったから3日後の応答となり、大変申し訳ないことをした。

銀行から小切手帳(check book)が届き、さっそく一緒に入ってきたカバーのかけ方から書き方まで周りの人に教わった。これでいつでも小切手を切れるようになった。合わせて、小切手帳には小切手だけではなくて、ATMで現金や人から貰った小切手を入金するときに添える用紙もくっついていた。ここが日本のATMと違うところだ。ATM備え付けの封筒に、現金や人から貰った小切手とその用紙にいくらどの口座に入金するかを書いて入れるらしい。小切手だけなら解るが、現金も?
ちょっと不思議に思ったので、日本のATMって機械がお札を数えて...なんて話したら、驚かれたよ。アメリカっておっくれてるぅ。って、封筒にはコインも入れられるらしい、ということは進んでるぅ?(爆)

employerの会社のネットにVPNで接続する件は、まだ接続できないまま。日本にいる同様の経験をされた方にヘルプミーメールを投げた。回答は、helpdesk等から返事がなくても、懲りずに何度も何度も問い合わせることだそうだ。地道に少しずつ前進させていこう。勤務している会社のIT staffにも状況を実際に見せて、応援を頼んだ。


2004年4月30日(Fri)

どうしてもおいらにSSNを与えたくない力がどこかで働いているのか...

今朝申請に行ったら、「雇用証明を見せろ」と言う。コピーを所持していたので見せたが、コピーじゃなくてオリジナルじゃなきゃ駄目だと抜かしやがる。L1ビザで入国しているのだから(現地法人からのレターを証拠にして発給されるビザだから)、そもそもパスポートとビザで十分なはずだ。また、I94フォームという入国の際にホッチキスで留められた紙が法的に正当な滞在許可となっているため、必要十分な資料は既に提示しているというのに、何を言ってやがる。"We need the original. Thank you."と言ってさっさと提示した資料を付き返して「さっさと帰れ」と言わんばかりの態度にキレそうになった。
会社に出て、人事の人にメールを書くと、オフィスに電話してsupervisorクラスの人と話をしてくれて、英語のリクエストを送り返してくれた。それを持って、再度オフィスに行くようにと。それで安心とも思えなかったため、Shawnについていって貰った。
案の定、その紙を見せているにも拘わらずロクに読もうともせずに、「VISA関係のペーパーを見せろ」と別の資料を要求してくる。それまた一応所持していたから見せると、許可を受けた紙は原紙なのだが、それに参考として付けられた現地法人の所持するブランケット許可証のコピーが原紙じゃないから駄目だと抜かしている...それの原紙はどうあがいてもおいらが持っているはずのないものなのですよ、ババァ!
さすが、Shawnは現地人だ。殆どキレてるおいらにニコニコしましょう、と言いながら、人事の人が書いてくれた紙を指して、「もう一度、この紙をよく読んでください。」そこには、電話でネゴ済みのsupervisorの方の名前もキチンと書いてあるため、ようやく、裏に行って確認してきてくれた。

さて、どうやらコンピュータに申請書の記載事項を入力しだしたところを見ると、ようやく申請を受け付けてくれているみたいだ。
でも、ここでまだ問題が...
入国管理がおいらをメキシコ人としてコンピュータに入力していたことが判明。どこまでオバカサン揃いなの? お前らの仕事だろう。仕事して給料もらってんだろう。いい加減にしろよ! (激怒) ましてや、おいらの4月分の給料からはしっかりと Social Security Tax 引かれてるんだよ! 早く番号よこせ。番号がないためにアパートの契約とかで余分に預かり金払ってるんだよな。
結局、その訂正も必要だから、6週間はかかるだろうとのこと。普通なら10-14日と聞いているから、驚いた。何で間違いの訂正に4週間もかかるわけ??? まぁ、とりあえず難関突破ということで...(でも、プンプン)

アパートの電話も、ようやく申し込み完了したし、電話機自体はShawnのお古を譲り受けた。家具レンタル会社に対して初めて小切手というものを切ったが、郵便に載せたそばから、クレジットカードで払ってくれないかとの申し出。円建てのクレジットカードしかないからいやだ、と答えると、ここでも普通より1ヶ月分多い預かり金にしてくれと言う。しょうがないので、新たにもう一ヶ月分の小切手を切って、郵便に載せた。
後は、週末にベッド周りのモノを買出しにいく予定。お世話してくれた Ree さんに、「多分、これだけあればいいんじゃないかな」というリストを書いてもらったから、それを持って買出しに行く予定。